「選抜」のための教育
昨年、あるシンポジウムの分科会「経済の未来像~富かwell-beingか?開発・成長とサステナビリティ~」(下記サイト)に参加しました。その際に、日本の教育の話になりました。
私はそのとき、日本の教育は「選抜」のための教育で、「学ぶ喜び」を教える教育になっていないのではないか、と発言しました。そのときは、話の流れで思いついたことを話したのですが、先日、ふと「それってとても重要なことかもしれない」と改めて思った次第です。
日本の多くの人にとって「学び」は「受験」で「勝つ」ための「作業」になっていないでしょうか?そこには、試験で合格したひとは「優秀」、試験は優秀な人を「選ぶ」ためにするもの、という考え方が背景にあると思います。
本来「学び」とは、知らなかったことを知る「喜び」だったり、出来なかったことが出来るようになる「喜び」だったり、わからなかったことがわかるようになる「喜び」を経験する「行為」であったと思います。
もうそろそろ「学ぶ喜び」に開眼してもよいのではないでしょうか?
国際教養学部では「学ぶ喜び」を一人でも多くの学生さんに経験してもらえるようにサポートしていきたいと思います。